目先の結果にとらわれるほど仕事が楽しくないのかも

仕事をしていると仕事の成果は数字に現れる。

 

その数字の一つ一つには本当に嬉しいことや、逆に何か心に引っかかるものなど様々な感情がある。

 

そして、目先の数字にとらわれていると自分では納得していない数字を獲得しに行って仕事がつまらなくなる。だけど上司の目が気になって数字を上げるしかない。でも楽しくない・・・・結果、仕事やめます。

 

 

先日、介護職で働いている人との会話の中でどうすれば楽しくなるのかヒントがあった。

 

介護の仕事はもともと足が悪かった方がリハビリをして、自分一人で歩けるようになるなど、お客様が健康になる為のリハビリのサポート。

 

 

しかし、その介護職員はゴールを歩けるようになる事ではなく、その先の患者が歩けるようになってから、どこかに旅行に行って楽しむことにゴールを設けていた。

 

 

要するに、お客さんが元気になった後のことを考えて仕事をしている。

それによってお客さんもしっかりとした目的が先にある上でリハビリを行うので、リハビリを終えその後旅行などに行けた時は、リハビリだけよりも嬉しさも増すし、それによって介護職員も嬉しさが増えるという事。

 

言われてみれば当然のことですが、本来はリハビリの先の楽しみの為に、リハビリをするのだが、ついついリハビリ自体が目的になってしまっている事が多いのです。

 

それを忘れないためにその介護職員の方は、リハビリを始めるに当たって、まずはお客さんに歩けるようになったら何をしたいかを必ず聞くそうです。

 

お客さんも仕事をする人もそれを忘れがちだが、さらに、それは会社にも言えることだと思った。

本来の仕事とは、お客さんが幸せになった結果、利益がでるはずなのに、ついつい目先の収益を上げる事が目的になっていて、お客さんの幸せを忘れているのが多いと思う。

 

特に中間管理職は上から数字の達成のことばかり言われ、そのまま現場に落としがち。

それによって部下は文頭のように仕事が嫌になって行く。

有能な上司であればそれを細かく落としてくれるがそんな上司ばかりではない。

 

なので、仕事が楽しくないと感じた時は自分が何のために仕事をしているの本質を今一度考えてみるといいのかも知れない。

マンガ村というサイトで人生の沼に片足突っ込みかけた。

今日マンガ村というサイトを読んでいた。

先週の金曜日、会社の同僚から教えてもらったサイトだ。

 

なんでもマンガ読み放題だという。

ちょうど読みたい漫画の最新刊を読んでいなかったため、サイトにアクセスする。

するとなんとあらゆるマンガが無料で読み放題なのだ。

 

とりあえず、キングダムが読みたかったのでキングダムを検索するとすぐに出てきた。

1巻から最新刊まで全て読む事ができる。

 

ちなみにキングダムは本当にオススメ。

下僕の身分から将軍になっていく主人公。人の上に立つものとはどういうものか、また、人の心を動かす事。さらに成長するに当たっての壁の乗り越え方など色々と学ぶ事ができる。

 

最新刊を無事に読み終えたが、ほかの漫画も気になって気づいたら休日がほぼマンガに費やされていた。

 

そういえば、昔プリズンブレイクが流行っていたときにハマりすぎて一日十時間以上毎日見ていた事がある。

 

基本飽き性の僕だが、一度ハマると抜け出せない。

なぜマンガや物語にこんなにもハマる事ができるのか。

それはおそらく、自分と主人公を重ね合わせて成長していく過程に快感をほぼ得ているからだろう。

毎日の暇な生活とは違い、夢があり、その道に真っ直ぐ進む主人公。しかし何度も壁にぶつかりながらも、その壁に全力で向かって行き成長し、また乗り越えるべき壁に当たる。

 

自分の人生とは大違いな主人公の生き方に惚れ込んでいるのだと思う。

 

そこで、自分の人生もそうであるかのように毎日を生きる事ができればと思った。

理想の自分をしっかりとキャラ設定して、そのキャラクターが成長する過程を楽しむかのように毎日を過ごす。

 

そんな事ができれば振り返った時いい人生なんだと思う。

日常の出来事全て自分の受け取り方次第

今日、自分のインスタグラムを見ていたら、寂しい気持ちになった。

そこそこ仲がいいと思っていたグループの人たちが楽しそうに集まってご飯を食べていた。


「あ、僕は呼ばれなかったんだ」と気づいた瞬間にとても寂しい気持ちになった。

 

もし、そのまま受け取っていたら、今日のテンションは下がりっぱなしで下手したら人間不信にまで行っていたかもしれない。
(さすがにオーバーな尿減だとは思うが)

 

しかし、少しその感情と向き合って見たところ、その感情は無くなった上に、自分の素直な感情が出てきた。

 

そもそも、そのグループとの付き合いは僕自身が本気でその人たちと一生付き合っていきたいとは思っていない。どちらかというと、この環境で生活していく上で、孤独になるのが嫌だから仕方なしにそのグループに顔を出していただけで、本来自分が属したいグループはもっと違うところにある。

 

そんな気持ちを感じながらも自分に蓋をして、孤独に耐えられないから属していたグループ。

逆に言えばいつまでもそのグループに居座っているから、本当に自分が属したいグループにたどり着くことが出来ないのだ。

 

居たくないのに居てしまうのは僕の持っているエネルギーを無駄にそこに使っていることになる。

なんなら、そのインスタグラムを見て、嫌な感情が湧き上がった時点でエネルギーを奪われているはけだ。

本当に自分が属して居たい、また、属してて気持ち良く感じるグループであれば、インスタに「次は声かけて」とコメントしていたと思う。

 

今日、このインスタを見たことによって、素晴らしい気づきを得た。もし集まりに誘われていたら、参加しただろう。そして、本当に楽しめるわけではない時間を過ごしてただろう。しかし、誘われなかったことにより、時間も奪われなかったし、自分の気持ちと向き合うことが出来た。

 

その気づきを得た僕は、そっとその人のインスタのフォローを外した。今後、その人の投稿を見てエネルギーを消費しないように。

営業職で無気力感になった時はアイデンティティクライシスかも

営業職をしていると思うことがある。

毎日同じようなトークの繰り返しで毎日数字を意識して、取れないことがプレッシャーになっていき、歩合給も意識し、だんだんとお客様のことが見えなくなっていく。

営業職にとって数字は絶対意識しなければならない。営業の仕事はと言われれば「数字を上げること」と答える人も多いだろう。

もちろん数字をあげれば自分の給料も上がるので頑張れば頑張るほど自分の金銭的な欲求や社会的な欲求を満たしていく。

要するに自分の欲求を満たすことと会社からのプレッシャーから逃れる事がイコールになっていく。

自分の仕事の意義を考えずに仕事をしているとそこに行き着く。

しかし、その思考でずっと働いていると急に「自分は一体なんの為に働いているのだろうか」とっ気持ちが芽生え無気力になることがある。

この無気力感を体験したことある人はわかると思うがかなり辛い。

辛いが故に早く抜け出したいと思う。

そこで取れる対応は二つ。

一つは、
「仕事だから」と割り切ってその感情に蓋をする。

もう一つは「その感情にしっかりと向き合う」

蓋をするのは簡単だ。
自分の感情を無視して、仕事だからと世間の常識を言い訳に自分と向き合うことをやめるだけ。

しかし、後者の自分の感情と向き合うのは大変。

一旦今までの自分の仕事を否定することが必要になっていく。

他人から自分のことを否定されると傷つくが、自分で自分を否定することは受け入れがたい。

しかし、自分と向き合うことで自分の本当に臨む仕事との付き合い方を見つけた時に一気に道が拓ける感覚になる。

蓋をしてもしばらくするとその蓋は緩み、また無気力感に襲われては蓋をする作業に繰り返しになるが、しっかりと向き合ったのち自分の答えを見つけた場合、そこに戻ってくるだけで気持ちも楽になる。

営業職が大変と言われているのはこういった自分との葛藤をみんな無意識に繰り返し精神的にやられていく人が多いからだと思う。

もし、今無気力感に襲われている人がいるなら、一度自分の感情としっかりと向き合ってみてはどうだろうか?

コミュニケーションが苦手な人がやりがちな事

相手に嫌われるとこを恐れると心の壁を作るようになる。


それが積み重なると自分で心の壁を作る事が普通になり、それが邪魔をして人と深く関わる事ができなくなる。


人と関わるのが苦手という人、たくさんいるのではないだろうか。


ちなみに僕自身もそんな中の一人だった。

しかし、ある事がきっかけでその根本的な原因に行き着いた気がしたので同じような悩みを持っている人に参考になればと思い記事にして見た。

 

僕は営業職で毎日たくさんの人と話す。
もちろんただ話しているだけではなく、ある程度は数字を意識しながらコミュニケーションを行う。

 

毎日の業務の中でも調子が良い時と悪い時、また、数字を上げた時も満足のいく一件であったり、ただ取れた一件である時など様々。

 

調子の良い時と悪い時で目の前のお客様との心の向き合い具合に差があると思う。

 

同じ1件でも納得のいくものがある時はしっかりお客様と向き合っていて調子が悪い時はなんとなくの表面上のコミュニケーションをこなしているだけ。

 

なぜ、その違いが生まれてくるのか。

毎日営業をこなっているとどうしても波がある。良い時はいいし悪い時は悪い。

 

どこかで転換期がある。

 


そのきっかけとなるのが

「お客様から断られる事」

 

人から断られるってのはやっぱり凹む。
自分の話が受け入れられていない、自分が拒絶されたと思ってしまう。

 

そんな時に自分を守ろうとすると心に殻を作ろうとする。
殻で守っていれば拒絶されてもその殻が守ってくれる。
そうすれば傷つかなくて済む。


これは人がもともと持っている防衛反応だと思うんだ。

でも、この殻がコミュニケーションの邪魔になっている。


守られてはいるが自分をさらけ出していない。
つまり、自分の気持ちがはっきりと相手に伝わらない。


そうすると必然的に表面上だけのコミュニケーションになってしまう。

こうなると悪循環に突入するわけだ。

 

これを解決する唯一の方法は自分の殻を破る事。
これをしなければ口ではどれだけ綺麗事を並べても相手の心には響かない。

 

たぶんコミュニケーションが苦手な人って、自分が傷つくのが怖いから知らず知らずのうちに殻をまとっているのだと思う。

 

なので苦手だと感じている人は、まずは自分の殻を破ることから始めてみてはいかがだろうか?

 

 

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宝くじ高額当選は人生崩壊する理由をお金と太陽の関係から考える

宝くじ高額当選の人は人生崩壊する。

よく聞くことだと思うがなぜそうなるのかを考えてみようと思う。

 

以前、書いたお金の本質では、お金とは価値の交換ということを書いたが、

bububunobu.hatenablog.com

 

今日は少し違う視点で。

 

例えば今、あなたの近くにある紙。

その紙は、連絡用しかもしれないし、メニュー表かもしれない。

 

メニュー表であれば、それはメニューを伝えるという価値がある紙。

だけど、紙とはそもそも、木を加工してできている。

 

木は、太陽の光を使って光合成を行い成長し、人がそれを加工することによって紙になり人に価値を与えている。

 

なので、元々は太陽の光というエネルギーを元にしてるってこと。

 

他の物もそう。

例えば昨日の夜食べた晩御飯にお肉が入っていたら、そのお肉も太陽のエネルギーが元になっている。

 

豚肉であれば、豚肉が育つ過程で食べる作物も太陽のエネルギーによって育ち、それを豚が食べて、加工されて人が食べることができる。

 

要するに全ての物が太陽のエネルギーによってもたらされている訳であるので、お金も太陽のエネルギーがいくつかの変化を得てお金という形を成しただけ。

 

自然界で、この太陽のエネルギーを大量に保存できる生命はない。

例えば、雑草は一定量のエネルギーであればよく育つが砂漠では光が強すぎて、必要な水分が足りなくなり草木は枯れる。

 

また、虫眼鏡で光を集めるとその草木は燃えますね。

 

 

光のエネルギーの与える影響が強すぎるから。

 

ある一定の量のエネルギーであれば成長の糧になるが、一定量を超えたとき、バランスが崩れる。

 

この原理が宝くじが当たった人にも当てはまる訳ですね。

 

その人が本来、使用できる量以上のエネルギーがきた時に、その人は草木では枯れる状態、または燃える状態になる訳です。

 

もちろんその人自体にそのエネルギーを他にも使えるだけのスペックがあれば問題ない訳ですが、年収500万円程度の人がいきなり3億などの高額当選した場合、過剰なエネルギー状態になる。

 

これが、宝くじに当たった人の人生が崩壊する理由です。

 

このことから考えて、日常生活でもし、臨時収入があった場合、それは過剰なエネルギーを受け取った状態になってないか、冷静に考えてみて、もし過剰だった場合はすぐに他の人に寄付などして、そのエネルギーを循環させたほうが懸命な判断になる訳です。

 

 

もし、周りの人で臨時収入があった人がいた場合をぜひこの話をしてあげてください。

もしかしたら、ご飯をご馳走してもらえるかもしれませんね。笑

 

お金があれば幸せって言う人がいるけどお金ってなに?

お金があれば人生幸せになると考える人が多くいるが、

お金とはそもそもなんだろうか。


そもそもなぜお金ができたのかというと、お金がなかった時代、つまり食べ物が物々交換によって行われていた時代に生物だと保存がきかないのでそれを不便に感じだ人が作り出した。

 

例えば、漁師が服を欲していた場合、その場ですぐに魚を服に交換出来ればいいのだが、服屋さんが魚ではなくて野菜が欲しい時は、漁師は自分のとってきた魚を野菜に交換してきて、それを服屋さんに持っていき、やっと交換出来る。

 

それがスムーズに出来ればいいが、魚も野菜も生物なので、その時に欲しがっている人がいなければ腐ってしまう。

 

また、小魚や葉物野菜ならまだしも、大きな魚や、根菜ばかりになると量が重なって持ち運びにも不便。

 

そんな不便を解消すべく、中国の内陸では、魚や野菜を一旦貝殻に交換して、それをいつでも服に交換出来る様にした。

 

中国の内陸では貝殻を珍しいもので皆が簡単に手に入れられるものではなかった。

 

これがお金の始まりだと言われている。

 

要するに、お金とはそもそも自分の生み出した価値を一旦保存しているだけで、それ自体にはなんの価値もない。

 

1万円札は紙自体には何の価値もないわけで、その紙をみんなが一定の価値のあるものとして認識していることによって初めてその交換ができるわけ。

 

ってことは、お金があれば幸せだと考える人がいるわけだが、そのお金っていうのは事前に何らかの価値を生み出していることによってお金が手に入るわけだから、お金がある人が幸せなのではなくて、お金を得る為に多くの価値を生み出せる人が結果的に幸せになるという方が正しい。

 

何となく生きていると目の前のお金に執着してしがちだが、お金の本質を考えると、お金に執着することとは、ただ、紙切れにしがみついているだけであり、意味がない。

 

お金に執着するのであれば、お金を得る為に何らかの価値を生み出すことに視線を合わせたほうが建設的なわけ。

 

お金がある人は幸せに見えるのは、それなりの価値を皆にもたらし、皆を幸せにしている結果、その人が幸せになっているだけ。

 

それがお金の本質。

 

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